BOOK INFOMATION
4畳半のヤニ掃除を始めたはいいが、外から聞こえる猫の声に気を取られ、やる気が数分しか持続しないという日が続いた。
成猫の声ならまだ我慢もできるが、子猫の声が聞こえるともう堪らず、捕獲したい衝動に駆られ掃除どころじゃない。
とはいえ、声の主が野良とは限らない。
たとえ野良だったとしても、ヤニ掃除を始めた5月は毎日帰宅が翌日になっていた時期でもあり、子猫をかっさらってきたところで大した世話が出来るハズもなかった。
で、試しに、外の音を遮断するために窓を閉めきってみたのだが、ヤニ臭と洗剤臭が充満する超不健康そうな部屋が出来上がっただけで、しかも、暑い。
次に考えたのは耳栓だったが、掃除好きでもないあたしが、心逸る音もそうでない音も一切遮って挑んだところで、全然ちっとも楽しくないわけで。
そんな修行みたいな方法じゃなく、もっと楽しく、それでいてやる気を削がない術はないものかと考えた結果、わりとまともだと思ったのが、iPodで音楽を聴きながらの掃除である。
通勤時間が短いとか諸々の理由で、車の中でしかiPodで音楽を聴くことがないのだが、そういえば、カーオーディオに繋げているnano以外にも遊休iPodがあったハズ。
古い6GBのヤツだけど、使えるハズだよなあ、アレ。
が、好きな曲が詰め込まれたこれを聴きながら自分がノリノリで掃除する姿を想像してすぐ、iPod案は却下した。
何故なら、好きな曲を大音量で聴いていると、深夜だということも忘れ、窓を開け放った部屋でうっかり、大声で歌ってしまいそうだからである。
つまり。
近隣住民に迷惑をかけそうだからである。
・・・・で。
考えに考えて買ったのが、前回モザイク付きで載せたこれ。

モザイクを外すと、こんなモンが現れる。
やる気が出ない類のことをやらなくてはいけない時はPCかコンポでラジオを聴きながら、ということが多い。
一切の音をシャットアウトして集中するのは癪に障るし(鬼娘)、かといって好きな曲を聴けば、歌詞のワンフレーズにうっかり心を奪われてともすれば泣けてきたりするし(痛いヤツです)、だから自分に選曲する余地のないラジオが丁度いいのだ。
が、ポータブルラジオは持ってないし、もしそれを買ったとしても、4畳半での作業が終わったら用なしになるわけで。
「今後も使えるもの」で、利便性や費用対効果を考えた末に決めたのがコレだった。

「いくら気乗りしないからって、こんな仰々しいモン買わんでも」と言う人は大勢いるのだろうが、あたしの場合、誰のせいでもなく自分のせいで朽ちる寸前まで汚してしまった部屋を掃除するということは、こんなモンで気を紛らわせながらでないとやれないくらい気が滅入る作業だったから、結果的には、これでラジオや日テレNEWS24を聴きながらでないと続けられなかった気がしている。
何しろ4畳半は、カメラで写す以上に汚いのだ。
サッシ部分をひと撫ですれば、雑巾はこんなになるし、

窓ガラスに洗剤を吹き付ければ、カラメルカラーの液体が流れ落ちる。
しかも、サッシ周りの木製箇所だけでなく、アルミサッシにこびりついたヤニも、3、4回拭いたくらいじゃ完全に汚れは落ちてくれなくて、ハエ取り紙か?くらい汚れた部分をツルンと綺麗にするには随分時間がかかった。

(Before)

(After)
他、綺麗になりそうなのになかなかスッキリしなかったのが、窓に貼ってある「消防隊進入口」と書かれたステッカーで、あまりにメンドウなのでいっそのこと、ステッカーを剥がしてしまおうかと思ったくらいである。(建築基準法に抵触するので剥がしっぱなしにしてはいけません)
兎にも角にも。
ワイヤレスヘッドホンを買ってからというもの、どれだけ酷い汚れを見ても大きくはへこたれず(小さくはへこたれた)、戦闘時間もウルトラマンのカラータイマーを軽く越えられる(3分1秒以上なら越えた認定)ようになった。
そして。
その勢いでようやく、先延ばしにしていた物の撤去に取り掛かったのだった。

つうわけで。
腕 力 自 慢 話 に 続 く 。
近頃しばしば、「歳を重ねれば重ねるほど、苦手なことをせずに済むようになるのだなあ」と思わざるを得ない場面に出くわす。
「せずに済む」といってもいろいろある。
頑張って苦手を克服したり、長年嫌々やるうちに慣れて苦手意識がなくなったり、苦手だからと避けているうちに他の人がやってくれるようになったりするならいいのだろうけど、あたしのように、避けたところで誰もやってくれないけどまあいいかと思うようになるのは、全然良いことではない。
しかも、片付けや掃除というのは、「やらなくてもいいこと」では決してないわけで、そういうことに意欲が湧かないのは考えものだ。
さて、話は5月に遡る。
遡り過ぎというか書かなさ過ぎだけども、それは気にせず遡る。
4畳半のリフォームをする前に掃除をすることに決めてからは、雑巾とバケツを持って4畳半に籠もる毎日が始まった。
連日帰宅が遅かったこともあり、タバコを吸うために4畳半に行くついでに掃除をすることに。
つまり。
ヤニ吸うついでにヤニ掃除。
タバコはベランダに出て吸っているから室内のヤニが増えることはないのだけれど、なんだか物凄くアホなことをやっている気がしてならない。
それと。
目の前に拭きやすそうな汚いものがあるのに、それが拭かなくていいところだっていうのが何とも歯がゆい。

(壁紙は剥がすので拭くだけ無駄)
かといって、やがて剥がす壁紙を拭く気はサラサラないので、まずはヤニ被害の少ないドア側から、壁紙以外を拭くことにした。

(被害が少ないとはいえ、真っ白に見える箇所を撫でると)

(やっぱりヤニ)
ドア付近で最も汚かったのが、蝶番側。

(画像右側に注目)
隙間を通り抜けようとした土埃と埃とヤニが混じり、不気味ワールドを創造している。

が、ここみたいに、洗剤をつけた雑巾で拭いて真っ白になる箇所はまだいい。


(あらひどい)
どれだけゴシゴシ拭こうとも、どうしても真っ白にはならないのである。

(ぼんやりヤニカラー。ぼんやりカーテンレール痕)
長年燻しまくり長年放置していたんだもの、多少なりとも汚れが残るのは当たり前っちゃあ当たり前なのだが、ドア側を拭いてスッキリ感を味わってしまったせいで、この中途半端な汚れの落ち方が、どうにもこうにも面白くない。
つうか。
やる気が萎える。
(早い)
(早い)
加えて、暑くなりつつある季節、音の鳴るものが何もない部屋で常に窓を開けて、集中力なく掃除してるもんだから、

外から聞こえる音が気になって仕方ない。
具体的には、
どこからか聞こえてくる子猫の鳴き声が気になって仕方ない。
小さく聞こえる「みゃー」という声に耳を澄まして拭く手を止め、ベランダに出て暗闇に目を凝らし、声の主を見つけられずに部屋に戻って拭き掃除を再開するも、今度は親猫らしき「にゃー」という声に反応し、足音を忍ばせてベランダに出てじっと下を見る。
どれだけ目を凝らしたところで、マンションの4階から、真っ暗な地面のどこかにいるであろう猫の姿を見つけられるハズもないのに、だ。
あげく、拭き掃除をしている時間より、暗闇を見てアレコレ考えをめぐらす時間の方が長くなる。
あ。
このあいだ、マンションの駐車場で見かけたキジトラが親か?
それとも、我が家の自堕落番長が一目ぼれしそうなあの茶トラ?
いや、そういえばこのあいだ、向かいの家の庭を横切る、真っ白いのも見たな。
あれ、メスっぽかったよな。
あの真っ白いのなら、暗闇にいても見えそうじゃね?
子猫、何匹いるんだろ。
つうか野良?それとも、どこかの家の飼い猫?
・・・・という具合に。
つまり。
猫の一声であっさり切れる程、掃除に対する集中力がない。
窓を閉めてやることも考えたが、徐々に気温が高くなっている時期でもあった。
あたしには、閉め切った部屋で、夜中に汗だくでヤニ掃除するほどの情熱もなけりゃ、部屋に充満するヤニ臭+洗剤臭を我慢できるほどの根性もない。
なのに、面白くもなんともない掃除をとっとと終わらせて次の工程に取り掛かりたい気持ちだけは強いもんだから、自ずと、集中力のない自分に苛々してくる。
そんな、無駄にイラつく夜が、冗談ではなく本当に10日以上続いた。
が、いよいよ4畳半に入る用事のメインが「暗闇見物」になった頃、あたしは、面白くないこと(=掃除)に比較的集中できるあたしなりの方法を思いついた。
で、早速。
それを実践するのに必要な、でも、掃除には全く関係のないブツを購入。

(1万円ちょいの何か)
結論から言えば、このブツによって4畳半の掃除が格段に捗ることになったのである。
(まだまだ続きます)
会社勤めを始めてすぐの頃に、上司だったか先輩だったか新人研修の講師だったかに言われた、「次工程を意識して仕事をしろ」という言葉を未だに覚えている。
誰に言われたか覚えてないくらいだから、どんなシチュエーションだったかもさっぱり思い出せないのだが、誰かが言ったこの言葉はその後、あたしが配属された部署の仕事訓となった。
この言葉が意図するのは、たとえば書類の整理ひとつとっても、「自分は常に指サックをしているから少々バラついてても全然平気」という考えではなく、自分以外の誰かが見るであろうことを意識して、誰もがページを捲りやすいように、目的の書類を見つけやすいようにということを考えてファイリングする、みたいな、とても普通で簡単なことだった。

まあ最近は、雑にファイリングし、「捲りづらいなあ」と言う人には得意げに「指サックすればいいんスよ」と指南して「イイ事知ってる俺サイコー!」みたいな顔をする人が居そうだが、当時いた会社でそんな勘違いっぷりを披露したもんなら先輩に、「なんであたしがアンタのルールに従わないといけないわけ?」と凄まれた。
怖くて厳しくて優しい人だったよなあ、若月さん。(遠い遠い目)
懐かしいなあ、若月さん。
・・・・って、まあ、
ほ ん の 3 年 前 の こ と だ け ど 。
(註:激しく歳をサバよむ俺。アラフォー、独身、彼氏なし)
(註:激しく歳をサバよむ俺。アラフォー、独身、彼氏なし)
ちなみに当時、「「次工程を意識して」って言われても、ついこのあいだ入社したばかりの私達は次工程でどうなるか知らないので意識しようがありません」と言ってのけた同期の女子がいた。
一見正論のように聞こえないでもないが、少し考えれば判る。
次工程が何なのかを知らないのなら、訊いて教わればいいだけだと判る。
そして、こんな青臭いことを言われた若月さんは彼女を真っ直ぐ見据えて放った言葉が凄い。
「 え?そんな屁理屈が通用する世界ってあるの?どこに? 」
まだ社会に揉まれていなかったあたしには大層ショッキングな出来事で、しかも、キツネ顔の美人・若月さんが堂々と言う嫌味は迫力満点で、痛快だった。
それから2年半、あたしは若月さんの下で、日に30回は叱られ(多い)週に10回は怒鳴られながら(多い)仕事をした。
若月さんは、自分が培った技術や知識やノウハウの全てを出し惜しみせず、物覚えの悪いあたしに根気強く教えてくれた。
あのやたら濃い2年半がなければあたしは未だに十人並みの仕事すらできない社会人だったハズだ。
とはいえ若月さんは、決して完璧な人ではなかった。
気分屋で、時には感情的にもなるし、正義感と責任感が強すぎるが故に融通が利かない。
社内に周知した締めの時間を1分でも過ぎれば、たとえ営業部長が「頼むよ」と言いながら持ってきた書類だろうと突き返すから、彼女を煙たがっている人は多かった。
だから、若月さんが寿退社することになると、あたしがイビられ続けていたと思い込んでいた人たちは口々に「これからは伸び伸び仕事が出来るね」という意味のことを言った。
でもあたしは、「若月さんの凄いところを何にも知らないくせに!」と猛烈に腹が立った。
2年半の間、どれだけ叱られても蹴られても(実話)泣きたくなることなんてなかったのに、送別会では若月さんの顔を見るたびに涙がジワーっと出てきた。
そんなダメな後輩を若月さんはギュっとして、言った。
「仕事中に泣いてたらブン殴ってたよ」
そう言われてどうしてかあたしは大泣きした。
なぜこんな昔話(3年前だけど!)を書いているのかというと。
片付けを始めてから暫くのあいだ、自分の手際や段取りの悪さを嫌というほど思い知るたび必ずあたしは、若月さんのことを思い出していたからだ。
1年くらい前からその頻度はだいぶ低くなっていたのだが、4畳半の傷んだ壁を剥がし、新しい石膏ボードを張る段になってからまた、強烈に若月さんを思い出すこととなった。
さて、4畳半の壁に石膏ボードを張る段である。
当初の脳内施工計画では、(まずベッドを撤去して)ここに石膏ボードを張ってからヤニまみれの壁紙と絨毯を剥がし、新たな壁紙と床材を張ろうとしていた。
ただ、頭のどこかにずっと、得体の知れない違和感みたいなものがあって、4畳半のベランダに出てタバコを吸うたびに、それの正体が何なのかをぼんやり考える日が続いていた。
一週間ほど経ち、どうやらその違和感が古い記憶と関係しているように思えてきたのだが、いつまで経っても答えに辿り着けない自分は、普段より更にアホ度が増してるようでイラっとした。
つーか、家に帰ってきた途端、頭の動きが呆れるほど鈍くなるのはなんでだ。
ああそういえば。
若月さんはこういう愚図をすごく嫌ってたよなあ。
「よくわかんないけどなーんか違う気がするんです」なんて呟こうものなら、「自分の頭が足りないからって、人の頭を借りようとするんじゃない」って叱れたもの。
若月さん、今は40代半ばになってるだろうけど、きっとあのまま要領よく家事をこなしてるんだろうなあ。
若月さんち、いつ遊びに行っても片付いてたし。
あ、そうだ。
若月さんと一緒に、会社の人の引越しの手伝いをしに行ったことあったな。
で、あたしの掃除の仕方があまりに酷くて、プライベートで初めて若月さんに叱られたんだった。
そうそう、思い出した思い出した。
壁紙にこびり付いたタバコのヤニを拭いてたときだ。
洗剤で浮き上がったヤニが指にべっとりついてたのを気がつかないまま、若月さんが洗った白い食器を掴んじゃって。
「余計な仕事を増やすな」って叱られたんだった。
懐かしー。
懐かしいなぁ・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ん ? ち ょ っ と 待 て 。
壁を作って壁紙と床を張り替えて、それからヤニ掃除するのか?

(ヤニ+土埃)
ん ? ち ょ っ と 待 て 。
壁を作って壁紙と床を張り替えて、それからヤニ掃除するのか?

(ヤニ+土埃)
そう、暫く頭の中にあった得体の知れない違和感はコレだった。
雨漏り痕のある石膏ボードを貼り替えることばかりに気を取られていたが、4畳半は全体が長年のタバコで燻されていて、壁紙や絨毯は剥がすからいいとしても、たとえばアルミサッシを見てみると、タバコの影響を受けていないところはアルミ色なのに、

影響を受けるところはことごとくヤニカラーになっている。
そして、モロに煙が当たる箇所はすっかり、
サッシはまだいいが、それがハマっている木枠は厄介だ。

石膏ボードを張り、壁紙を貼る前にここを掃除すると、せっかく張ったボードが引っ越しの時の白い皿みたいな事態になりかねない。
かといって、壁紙まで貼ってからここを掃除して、真新しい壁紙にヤニがついてしまってはもったいない。
そして何より、「諸々に気をつけながら慎重に木枠だけを拭く」などという、掃除に対する集中力があたしにあるわけがない。
・・・・と、ようやくここまで考えが行き着き、脳内施工計画を変更することにした。
壁 よ り 床 よ り 、 ま ず は ヤ ニ 掃 除 。

(「週末はヤニ掃除でもするか・・・・」と書いてから2年?・・・・2年!?)
というわけで、ようやく4畳半の掃除を始めたのが約3ヶ月前。
ケータイで撮った膨大な掃除写真は、「試しに」と、ブラインドに洗剤をスプレーしてみた画像から始まっている。

(うわっうわっうわっ)
この日からあたしは夜な夜な、若月さんにド突かれそうなやり方で掃除を続けることになったのだった。
(続く)
結局魔物を全て読み終えた。
で、

計34冊を処分することにした。
背表紙が色褪せているわ全体的に焼けているわで、捨てるしかないかなあと思っていたのだが、幸い、姪が世話になっている学童保育施設に引き取って貰えることになった。
エゲツナイ本はないから安心して読みたまえ、小学生諸君。
あ、でも、ちぅくらいはあるから気ぃ抜くなよ、小学生諸君。
魔物以外にも複数の文庫本があり、その多くは今のあたしにはビビっと来ないものばかりだったが、テスト勉強中に部屋の片付けがしたくなった中学生でもあるまいし、読んじゃいけない理由はどこにもないわけで。
片付けに期限を定めていないのをいいことに、片っ端から読み倒すことにした。
処分するのを前提で。
まずは、バブル期の代名詞的な本。
これもかなり流行ったよなあ。
あと、こっち系も。
中には、純文学や詩集や評論など、毛色の違う本も。


小学校高学年になるとあたしは親が買ってきた本を片っ端から読み漁っていたのだが、4畳半にあった本のほとんどは、多分自分で買ったものだろうと思う。
が。
何を思ってそれを買い、それを読んで何を思ったのかが、さっぱりちっとも判らない。
というか。
これらの本を読みながら、「なんで 『 青春論
そして、これから先も、集中して読める気が全くしない。
むしろ、本棚にあるそれを見ただけで、青かった頃の自分を思い出してモヤモヤしてしまいそうだ。
なので、今のあたしが共感とか感動とかを覚えないモノは処分することにした。
最後まで迷ったのは、一世を風靡したこの2冊。
表紙を見て少しテンションが下がったのだが(何故)、いざ読んでみると、両方とも突き抜けていて、青い頃に読んだのとは違うであろう読後感がある。
こういうのは取っておきましょう、そうしましょう。
これでようやく本の選別が終わり、ベッドの下にわんさかあった、荷造りご無用なダンボールが全てなくなった。

(汚すぎてさっぱりスッキリしない)

(なんかあるよね)
うん、あるね。

(引き出してみた)
この箱の存在にはだいぶ前から気づいていたが、側面の絵を見て、「ああボウルか」と思っていた。
というか、これに入っていたボウルがブルーグレーだったことや、中学の同級生の結婚式の引き出物として貰ったことも覚えていたから、中身を確認する気にならなかった。

箱の底には、

得体の知れないシミとカビの跡が残っているけれど、中身がボウルだもの大丈夫でしょ。
さて開けてみましょーか。
綺麗な色のボウルを見てみましょーか。
・・・・と呑気に蓋を開けてみた。
で、ギョっとした。
何故なら。
この箱の中には、予想もしていなかったモノが入っていたからだった。

(へ?)
箱の中に入っていたのはブルーグレーのボウルではなく、中学からハタチくらいまでの間に貰った年賀状と、大量の手紙だった。
前にも書いたけど、小学校に入学してから中学を卒業するまであたしは尋常じゃないくらい引っ越しをしていたから、9年間ずっと、いつでもどこでも転校生だった。
で、引っ越し先の住所を聞かれたり「引っ越しました」のハガキを出したりすると、前にいた学校の同級生数人から、「新しい学校はどお?」という手紙がくる。
せっせと返事をしていたこともあったのだが、でもあたしはある時期から、その手の手紙に返事を書かなくなった。
幼さが消えてモノグサな性分が表に出てきたことが最大の理由だろうが、幾度も転校するうちに、物珍しさが薄れたら転校生は飽きれられるのだと、身をもって知ってしまったことも関係している気がしている。
ついでに言えば。
あたしが同級生の名前や顔をちっともさっぱり覚えていないのは、付き合った期間がいちいち短いことに加えて、いつの日か離れることになる彼らと一生の友達にはなれないと、判っていたからのような気もしている。
というわけで。
今でも仲がいい友達2人から貰った手紙やハガキだけを残して、他は全部捨てることにした。
魔物や文庫本と同様に全部中身を読んでみようと思ったが、3通読んだだけでもうお腹いっぱい。
当時はピンと来なかっただろうが、若さとか青さとか、痛さとか羨望とか、その世代特有の複雑な心が見え隠れしている文章はもう読めん。
つうことは、あたしもそんな手紙ばかり書いていたんだろうなあ・・・・。

(10代の自分を抹殺してぇ)
ちなみに。
小学校に入学してから中学を卒業するまでに知り合った何百人かの同級生のうち、今でも友達と言えるのはただひとり。
18歳の春、彼女があたしにくれた1枚のハガキは秀逸だ。

(コイツからは、「アスノミカイ デンワクレ」という電報を10回以上貰った)
彼女とは、この先もずっと友達でいられそうだと、改めて思った。
つうか。
コ イ ツ 、 昔 か ら ア ホ だ っ た ん だ な ・ ・ ・ ・ 。
(類友とか言わない)
(類友とか言わない)
4畳半のベッド下が半分くらい片付いたことになるのだが、土埃にも埃にもヤニの臭いにも懐かしグッズの数々にも、すっかり飽きてしまった。(早いよ)
何かこう、一気にテンションが上がるブツでも出てくることを願っているのに、残しておきたい物といえば絵本くらいで、「おおおおお!これは!!!!」みたいなものが出てこない。
なので。
魔物にちょっかいを出してみた。

(こら)

(こらこらこら)

(こら)

(こらこらこら)
が、20冊ほど読んだところで、「この調子で文庫本まで手をつけたら年が明けちまう」と気付き、テンションが全く上がらないにも関わらず、片付けの続きをすることにした。
偉い!
偉いぞ、あたし!(そうでもないぞ)

あたしの予想では、ここの下には衣装ケースが2つと、荷造りご無用なダンボールが1つ入っているハズだった。
それは概ね合っていたが、

(ある意味収納上手)
それらの向こう側に、想定外のものを見つけた。

(今は鍵盤ハーモニカって言うらしいけど、世代的には断固「ピアニカ」)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
雑なあたしが、中をすっかりキレイにして取っておいたとは思えないから、開けてみる気にもならない。
とりあえず、ピアニカは見なかったことにして、手前のダンボールから着手することにした。
で。
衣装ケースをよけてみると、またもや萎えるものを発見。

(「その他」とか「いろいろ」なら、書く意味ねえだろ)
大雑把過ぎて開ける気しねえ。
まだヤル気が起きないので、このダンボールも後回し。(おい)
その奥にある、埃だらけのゴチャっとした一角に着手した。

(青春の危険な香り)
へー!昔のセブンイレブンの袋ってこんなんだったんだー!
・・・・と無理やりテンションを上げてみるも、袋に透けて見えた中身が、大昔しょっちゅう一緒に海に行っていた男のサンダルだと判った途端、テンションダダ下がり。
っていうか、1980年代後半から1990年代半ばのものは、マジで飽きた。
その次に目に入ったものは、サラダオイルが入ってたと思われる箱。

この箱に手をかけて、持ち上げた途端、

(昭和産業の商品なので、平成ギフトセットと改名はしていないらしい)
箱から鈴の音が聞こえてきた。
が、中身は何だ?とワクワクしたのは一瞬で、箱を開けてすぐ萎えた。

大雑把に言えば、「旅行」に関する物が入っていた。
まだ家族4人で旅行をしていた頃の思い出の品と、誰かがくれたお土産の数々。

(カワイイところをひとつも見つけられない)
今でこそ、この手のものを貰う機会は無くなったが、

(あたしでも描ける)
たとえば親の仕事仲間が「娘さんに」なんつってくれたお土産が、当時は結構嬉しくて、

(お手玉って、虫が湧いたりしないのかしら)
それらを「捨てる」なんて選択肢は全く無かった。
ましてや、家族4人で旅行した時の思い出は写真だけじゃ足りなくて、でもパンフレットまでは取っておく気がなくて、手頃な大きさだからか、あたしはよくホテルのマッチを持ち帰っていた。

(現在の市外局番は4桁)
あー、そういえばみんなで那須に行ったことあったなー。
そうかそうかー、那須ビューホテルなんつうところに泊まったのかー。

ほうほう、那須ロイヤルホテルってとこにも泊まったんだねー。
・・・・って!
食 え る モ ン は 取 っ て お く な よ 、あ た し 。

(推定25年前のグラニュー糖)

(推定25年前のグラニュー糖)
結局、旅の思い出が詰まっていたハズの箱の中で「これは!」と思えたのは、家族で北海道に行った時、父親に買ってもらった小さいクマのキーホルダーのみ。
他は全部捨てた。

(お姉ちゃんとお揃いだったけど、あたしのクマのほうが断然可愛くなかった)
なんてことを書くとまるであたしが、「旅の思い出を取っておいても結局は捨てるハメになるんだぞ。取っておく意味ないんだぞ」みたいな結論を出してる風に読めるかもしれないが、そんな話では全然ない。
旅の思い出をこれだけ簡単に斬り捨てられるようになったのは、単純にあたしが歳をとったからだ。
あたしの目に映るそれらが宝石みたいに輝いていた時期はちゃんとあり、輝かなくなった今見つけたからすんなり捨てる気になれたというだけの話。
もちろん、もっと前に整理してていい物だし、たとえば10年前にそれを見つけていてもアッサリ処分してだろうが、だからといって、「ハナからとっておかなくて良かった物」だとは思わない。
だって、こんなガラクタに輝きを見い出せるのは、子どもの特権なのだから。
さて次は、旅関係の箱の下。

昔、服を買うといれて貰えた厚手のビニール袋に一体何が入っているのかは、皆目見当がつかなかった。
あ・・・・あ・・・・開けてみるか・・・・。

ゲーセンで取ったぬいぐるみのように見えるが、よくよく考えてみれば、UFOキャッチャーが無かった時代だ。
100円で買えたものではなかったんだろう。


超 怖 ぇ ん だ け ど 。
結局、この袋に入っていたぬいぐるみや置き物も全部捨てた。
さて、次はやっぱコレか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
自分が大雑把過ぎる性格だということは十二分に判っているが、それにしてもこれは酷い。
以前同じ職場に、机の上も下も脇も引き出しの中も片付けられない女性がいたのだが、彼女はPC内部の整理もできなくて、そういえば彼女が付けるフォルダ名は「その他」とか「etc」とか「いろいろ」とか「temp」とかいうのが多かった。
それを誰かに指摘されると彼女は決まって、「私A型なんで、何でもキッチリしないと気が済まないんです。だからこれは全然曖昧じゃなくて、私の中ではちゃんと区分出来ているんです」とか言っていたが、そのわりに彼女は、ファイルを探すことに時間を使い過ぎてるのか、仕事が遅いので有名だった。
どんだけ頭が良くても、作業効率を上げるには一発で判るようなフォルダ名にすべきだし、頭が悪いなら尚更、ダンボールには、ちゃんと中身が想像できる説明を書くべきなのだよ、夏目くん。
つうわけで、何が入っているのか想像もできないダンボールをいよいよ開封してみることにした。
え い !

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
確 か に 、 「 す ご く い ろ い ろ 」 。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
確 か に 、 「 す ご く い ろ い ろ 」 。
ぱっと見ただけでも、ACアダプタにテーブルタップ、オルゴールにポーチに手ぬぐいと、一貫性がまるでない。
「しかもまた、つまんなそうなモンばっか入ってるなあ」と思いながら、それらをつまみあげてはどんどんゴミ袋に放り込む。
・・・・と、突然目の前に、あたしが待ち望んでいた物がひょっこり姿を現した。
もちろんココに入ってたなんて知らなかったけど、でもつい最近キミのことを思い出したばかりだったんだよ。
しかも、あたしのカリノさんのブログ記事を読んで。

(カシャカシャカシャカシャ・・・・カシャカシャカシャカシャ・・・・)

(数少ない得意分野。記録:2分42秒→1分47秒→1分22秒→1分19秒→1分13秒→1分12秒→1分09秒→1分04秒→1分02秒→1分00秒→1分00秒→57秒.......)
マ ン ガ よ り 、 魔 物 度 高 し 。
(夏目基準)
今年のメインイベントで完全燃焼した後だからか、
「年賀状さえ書けば今年も終わりだな・・・・」くらい腑抜けているのだが、ふと、メインイベントでSuper Vocalist が言っていた「ゆっくり走り続ける」という言葉を思い出して我に返り、日に30回くらい気合いを入れ直すことでようやく人並みに生活が出来ている。
長く社会人をやっていると、毎日同じ景色だけを見ているような気になり、自分の人生がやけに単調でつまらないものに思えてくることがたびたびある。
波乱万丈を望んでいないどころか、むしろ、平凡を渇望しているというのに、単調な日々は何故か時々焦燥感を生み、終いには腹の奥のほうでドス黒い感情を育てたりもする。
自分の大切な人には優しくしたいのに、小さなことで大きくイラついたりして。
そんな自分を戒めてくれるのは、あたしの場合、本を読むことだったりライブに行くことだったりして、いい本を読んだりいい映画を観たりライブを思い切り楽しんだ後は、いつもより少しだけ優しくなれる気がしている。

さて。
次に着手すべきダンボールがどれなのかは一目瞭然だが、その側面には、こんな呪いの言葉が書かれていた。

(バンダナとヒモを発見)

(×=ヒモ、○=ブラのストラップ)

窓から少し離れた場所にあったからか、土埃ではなくただの埃がてんこもりなダンボールを引き出すと、側面にはまた、中に何が入っているのかが書かれていた。
つうかまあ、大昔に自分で書いたんだろうけど。

(せめてこのくらいで、字の下手度がストップしてくれたらよかったのに)
小学校?しかも5年?
前の前の前の前の前の家に住んでた頃のじゃないか。
じゃあこのダンボールのまた奥に6年のがあったりして?
つうか、中学校のはどうした。
あたしの記憶によれば、3年間ちゃんと通ったハズだぞ。
・・・・と、頭ン中をクエスチョンマークでいっぱいにしながら開梱してみた。

パっと見、小学校時代のものは見当たらない。

(ソプラノリコーダーって中学では使わないんだっけ?)

(アルトリコーダーって中学?高校?)
ひとつひとつ出していったところで、小・中・高の卒業証書や、中学2年の途中から高校卒業まで酷使してヨレヨレになった学生カバンはあったものの、小学校時代のものはやっぱり見当たらない。

(そういえば、自分のこのカバンが大好きだった)

(でも、勉強する気が全くなさそうな薄さ)
唯一それらしいのは、やけに昭和なケースに入ったソロバンくらい。

(ケースから出してみる気は微塵もない)
そしてその下からは、高校時代のノートが2冊と、幼稚園の頃、親に買って貰いそれはもう夢中になって読んでいた絵本がわんさか出てきた。
一番好きだったのは、 『 だるまちゃんとてんぐちゃん』 。
あまりに有名な本なので説明の必要もないだろうが、敢えて書くと。
友達の「てんぐちゃん」が持っているうちわや帽子や下駄を欲しがる「だるまちゃん」が、お父さんの「だるまどん」にそれをねだるたび、「だるまどん」は物凄くたくさんの種類の物を用意してくれるのだけれど、「だるまちゃん」はいまいちピンとこない。
で、結局は、自分で工夫して、「てんぐちゃん」の持っているものによく似たうちわや帽子や下駄を手に入れていくという話。
小さい頃は多分、「だるまどん」が用意してくれる物の豊富さに興奮していたのだろうけど、ある程度の歳になってから読み返すと、「てんぐちゃん」のリアクションが目に付くようになった。
「だるまちゃん」はたとえば、「てんぐちゃん」の履いている高下駄を真似て、妹が使っていたままごとのまな板を下駄代わりにするのだが、それを見た「てんぐちゃん」はもちろん「何それ、しょぼ!」なんて言わない。
「いちいち俺の真似すんじゃねえよ」とも言わない。
もちろん、「真似したな?はい、500円」とも言わない。
いつでも、「いいものをみつけたねー」とか「すてきだね」と褒めて、「だるまちゃん」と一緒に喜んでいるのだ。
どんだけ心が広いんだよ、てんぐちゃん!!!!
子供向けの絵本だから当り前といえばそれまでだが、青かった頃のあたしは、若さゆえの苛立ちがあるたびにこれを読んで、「てんぐちゃん、すげえ・・・・」とタメイキをついたものだった。
苛立ちの種類は変わっても、狭くなった自分の心を広げる方法は、昔から変わってないらしい。
結局、小学校時代の教科書やノートは見つからず、絵本と卒業証書以外は全部捨てることにした。

古いダンボール2つを開けてみたところで、とっておきたいと思えるのはこれだけ。

20年近く前、今の家に越してきた頃のあたしが「取っておこう」と思った物の多くを捨ててしまったことになるけれど、今回充分懐かしんだからもういいや。
つうか。
ダンボールには「小学校」「教科書とノート」って書いてあったのに、結局入ってなかったなあ・・・・。
なんてことを考えながら絵本をひとつひとつ読んでみた。
するとようやく、小学生時代のものが現れた。