BOOK INFOMATION
どうしても50秒の壁を破ることができない。

(指の腹の皮が薄くなってきているのに飽きる気配がない。困った)
ルービックキューブが煮詰まってきたからか、4畳半にあった「すごくいろいろ」な物が入っているダンボールの中身を片付ける気になった。
が、ほんとシツコイけれど、ルービックキューブ以外は全く、面白いものが入ってない。

(貼ってあるシールはリボン猫のもの)
小学生の頃か?それとも中学か?
なんともキュートな缶ペンケースが出てきた。
4つも。

(スヌーピーのは誰かに貰った気がするが、誰だか覚えていない)

(この手の絵や色は未だに好み。でも使わねえ)
最近気付いたことだけど。
あたしの場合、最も捨て易いのは多分、小学生から中学生の頃の物だ。
というのも。
小学校に入学してから中学を卒業するまであたしは、尋常じゃないくらい転校しまくり、普通の人の10倍くらい出会いがあった。
それ故に、人との関係は浅く思い出は少なく、つまり、当時学校で使っていた類の物にまつわる思い出も薄い。
大切な友達や家族との思い出が詰まった物を捨てるのは、自分の心が荒んでしまったようで気が引けるのだが、小・中学の9年間であたしが覚えているのは、家族のことと、放課後に、当時友達だったであろう人達と遊んだことだけ。
忘れたいようなことがあったわけでもないのに、あたしの記憶はどんどん、この9年間から薄らいでいっている。

ああそういえば、天体観測にハマってたことあったっけ。
でも、学校の先生にハンコを貰ってたってことは、理科の授業の一環?
それとも、天文学クラブなんかに入ってた?
ああ、さっぱり覚えてねえ。

ああ、これは覚えてる!
確か、前の学校では裁縫箱を注文する前だったのに、次の学校に行ったらみんなが裁縫箱持ってて、追加注文は出来ないとか言われて、町の小さな手芸店に行ったら、みんなが持ってるのは売ってなくて、取り寄せに1ヶ月以上かかるって言われて、お母さんがブチキレたんだった。
万事が万事こんな具合で、忘れていいほうの記憶は鮮明なのに、同級生の名前などはちっともさっぱり。
なので、転校する時クラスメイトから貰った寄せ書きを見ても、
誰の顔も思い浮かばないという、サイテーっぷり。

(ほんの一部。もっとすげーいっぱいある)

(ほんの一部。もっとすげーいっぱいある)
ちなみに。
小学校低学年の頃に一度だけ母親に「転校したくない」と言ったことがあるのだが、ウチの母親は、「じゃあ転勤のないお父さんがいる家の子になればいいんじゃない?養子縁組して貰って。隣の山本さんにでも頼んであげる?」と真顔で言う人だったものだから、「ようしえんぐみってよくわかんないけど!でも!荷造りが間に合わなかったらひとりだけ置いてかれちゃう!」と焦った記憶は鮮明に残っている。
子供相手に大人な答えしないでよ、お母さん。
そして、「すごくいろいろ」なダンボールの中からは、そんな母親の大人げないっぷりを思い出す品が出てきた。

中身はコレ。

(TVゲーム世代のみなさん。これはおはじきという玩具です)
あたしは野生児だったので普段は外でばかり遊んでいたのだが、たとえば台風がきていて外に出られない時など、ごくたまに気が向けば、うちの母親はこの手の遊び相手になってくれた。
トランプだったこともあるし、オセロだったこともあるが、一番よく覚えているのはこのおはじき。
問題は、透明なガラスに混じって2つだけある、白いおはじき。

パティ&ジミーが特別好きだったわけではないが、あたしは、普通のと違うこのおはじきを取りたかった。
が、うちの母親は、あたしが欲しがっているのを知っていてわざとパティ&ジミーから取る、ひじょーに大人げない人だった。
他の遊びでも然り。
というかウチは両親とも、子供と一緒にゲームをしても絶対手加減しないうえに、「お前、弱いからつまんね」と言ってやめる人だったのだが、ある程度の年齢を越えると、わざと負けてくれる大人と遊ぶのがつまらなくなるわけで、常に真剣勝負な大人とやる遊びは、何でも楽しかった。
ただ、今思えば。
麻雀で負け癖がついたのは親のせいな気もする。
(いい歳こいて親のせいにするな)
(いい歳こいて親のせいにするな)
まあそんな思い出付きのおはじきは取っておくことにして、他、高校時代に使っていた絵の具や、
ダンボールに書いてあった「のり大×2」など、

(こういう糊、使わなくなったなあ)
あまりの汚さに捨てたくなったが、思い出深い本の2冊や3冊・・・・や30冊くらい(多い)、キレイにしてちゃんと取っておきましょう。そうしましょう。
本の向こうには、久々に鼻の奥がツーンとなるブツがあった。

親戚の家にしょっちゅう預けられていたという話は以前書いたが、これはあたしが3歳の頃、長いこと母親の実家に預けられていた時に祖父が作ってくれた机だ。
ただの箱だけど、でも机。
で。
あたしはこの赤い机に向かって毎日、父と母と姉に手紙を書いていた。
3歳児にまともな手紙が書けたとは思えないが、祖父が用意してくれた紙に絵らしきものや文字らしきものを描いては、祖父と一緒にポストへ投函しに行くのが日課だった。らしい。
これも親戚の間では「いじらしかった」「不憫だった」と涙混じりで語られるエピソードなのだが、当の本人は、優しいおじいちゃんとの暮らしが楽しくて仕方なかったに違いない。

(こざっぱり)

(燃やせるゴミも燃えないゴミも一緒でOKなのが有り難い我が街)

(が、これらを入れた45リットルのゴミ袋は1枚40円)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「魔物に取り憑かれて、3連休が台無しになる」に54,027円。
(連休前は金持ちです)
いや、違う。
「連休最終日の午後、雀荘に行き、有り金全部擦る」に27円。
(100円未満の金が金じゃなくなる世界)
「魔物に取り憑かれて、3連休が台無しになる」に54,027円。
(連休前は金持ちです)
いや、違う。
「連休最終日の午後、雀荘に行き、有り金全部擦る」に27円。
(100円未満の金が金じゃなくなる世界)
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