BOOK INFOMATION
今年80歳になる夏目父方の伯母が携帯電話を持つようになったのは3年ほど前。
公衆電話が減り、出先で電話をかけるのが難儀になったので、外出好きな伯母のためにその娘が買ってあげたのが最初だった。
持ってすぐの頃は電話を受けることにすらだいぶ手間取っていたのだが、1年くらいでそれがスムーズに出来るようになり、やがて、ケータイのカメラで庭の草木や飼い猫や孫やひ孫や伯父を撮るようになった。
それでも暫くは、目の前にいる人に自分が撮った画像を見せるだけに留まっていたのだが、カメラを使うようになってからの伯母はそれまでとは比べ物にならないくらい携帯電話に興味が湧いたようで、電話で話していて、ケータイの操作について質問されることも増えた。
そして、「この間、猫の可愛い寝姿撮ったから、今度こっちに来たときに見せるね」というような話をすることが増えたある日、あたしはかなりの覚悟をもって伯母に、「メール、できるようになってみる?」と提案した。
去年、 伯母78歳の春のことである。
夏目父で散々そんな経験をしてきたからか、「どうせ覚えられないんだもの教えるだけ無駄」とか「同じこと何回も訊かれるからうんざり」とかいうことを思わないわけでもない。
そもそも、ケータイに限ったことではなく、年寄りが電子機器の使い方を覚えるのは容易なことではないし、あたしは人にモノを教えるのが致命的に下手くそだ。
ただ、あたしが夏目父や伯母に教えてあげられることなんて電子機器の操作方法くらいしかないわけで、そのくらい出来なくてどうするとも思うし、「年寄りだから」という理由でチャレンジする気にもならない人も多い事に彼らは果敢に挑もうとしているわけで、その意欲を、「メンドクセ」というだけの理由で萎えさせる気には到底なれない。
加えて、夏目父に限っていえば。
もしあたしが教えなかったら、
「覚えたいんだけど、娘が教えてくれないんだよねー。イジワルだから」
と平気で吹聴しやがるので(実話)、どんだけ時間がかかっても、本人が「もういい」と言うまで教えたほうがマシだと思っている。
そんなわけであたしは去年の春から伯母に、テキストのみのメール作成から送信までと、画像付きメールの送り方を教え始めた。
遠くで暮らしている伯母と会うのは年に1、2回だから、教えるのは専ら自宅の電話。
つまり、伯母が実際どんな操作をしているのかも液晶画面がどんなことになっているかも見られない。
しかも、状況を実況するのが78歳の伯母だから要領を得ない。
が、幸い、何度も同じことを訊かれることへの耐性は夏目父と暮らす中で備わっていたし、何よりもあたしは、78歳の伯母が「メールの仕方を覚えたい」と思ったことに感動し続けていたから、伯母が使っている機種の取説をWebで見ながら、ゆっくりじっくり手順を教え続けた。
「あれ?これ、前も訊いたっけ?」
「うん。でも何回訊いてもいいよ」
「やっぱり歳なんだねえ。何回教えてもらっても憶えられないもの」
「訊いたかもしれない、ってことは覚えてたじゃない」
「でもねえ・・・・」
「何回も続けてれば覚えるよ」
「そうかしら」
「覚えられなかったら訊けばいい」
「迷惑かけてごめんねえ」
「いや、全然」
「あんただって、こんな年寄りの相手するよりは・・・・あっ!」(わざとらしく)
「あ゛?」
「ごめんごめん。相手いないんだもんね、ごめんごめん」
(もちろん棒読みで)
(もちろん棒読みで)
・・・・という会話をしたことが何度もあるのは憶えてないらしいが、それでも、たくさん訊いてたくさん間違えて、妹や娘に「無理なんだって」と言われても諦めずに続けた結果、今では遠方に住んでいる孫たちや全国に散らばっている姪や甥に写メを送れるようになっている。
勿論パーフェクトではない。
誤字脱字は普通にあるし、本文も添付画像もないメールが送られてきたことも1度や2度ではない。
11度ある。 ←数えた
が、そんな小さいことはどうでもいいのだ。
空メールが送られてきてから暫くして届くメールは決まって微笑ましく、必ずどこかに進歩の跡が垣間見れるのだから。
伯母は言う。
「79歳にもなってこんな楽しい経験ができるとは思わなかったよ」と。
伯母は言う。
「出来ないと思ってたことが出来る嬉しさを味わったのは物凄く久しぶりだよ」と。
伯母は言う。
「自分で(マニュアルを見て)覚えることも大切だけど、判らなかったら訊くことも大切なんだね」と。
判らなかったら訊くことも大切なんだね、とな。
男いねーわ友達少ねーわだから、GWは超ヒマなわけ。
だから、GW前に連絡さえあれば不問に付すが、もしGWに揃わなかったら、
泣 く よ 、 あ た し 。
(寂しくて)
(寂しくて)
・・・・と、ここでちょっと真面目な話をすると。
L字のとデカいのを頼んだのに、形も枚数も合ってないもんが納品された時点であたしは、「新人クン、メモを失くしたんだな」と思った。
まあそれならそれで、周囲の先輩なりに話をして指示を仰げばいいだけなのだが、年齢や勤務年数に関係なく、判らないことを訊いたり確認したりしない人はいるわけで、それをしない人の気持ちは全く理解できないけれど驚きはしない。
ただ。
ネームプレートにデカデカと「研修中」と書くのなら、客に「研修中なのね」と思わせるだけじゃなく、店側も研修生の仕事内容を逐一チェックして欲しい。
というか、チェックすべきだろう。
新人が入ってくれば一時的に先輩達の仕事は増えるもので、仕事の全体像が見えていないうちは新人クンも、「何がわからないかがわからない」状態だろうし、10年前から上司に「新人教育に不向きな性格」と言われ続けているあたしでさえも、新人クンの手が止まったり目が泳いだりしてたら声かけるぞ。
渋々だけど。
社会人歴が長い身としては新人クンの仕事っぷりよりも、新人クンの仕事をフォローできない先輩らの仕事っぷりのほうがよほど解せない。
ちなみに前述の伯母にはいつも、「「わかんない」と思ったら、何時でもいいから電話してみて。寝てる時や電話に出られない時は無理して出たりしないから、こっちのことは気にしないでかけてみて」と言っていたのだが、それでも伯母は随分気も遣っていたし遠慮もしていた。
身内でもそうなのだから、他人なら尚更だ。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがあるが、訊けない雰囲気を醸し出すのだって充分恥ずかしい。
なんてことを延々考えていても石膏ボードは届きそうにないので、新人クンがメモを失くしたという前提で、再度裁断してもらうサイズを計り直し、明日またホームセンターに出向くことに決めた。
どーか明日こそはちゃんと入手できますよーに。(祈)
で、話は変わるが先日、トイレから出てきた夏目父が、「トイレットペーパー最後だった」と呟いた。
珍 し い 。
前にも書いたが夏目父は、トイレットペーパーを使い切ったら補充するとかいうこととは無縁の世界で生きているので、使い切ったことをあたしに報せてくれたことなどない。
報せるだけなのだから哀川翔ンち的に半殺しなのは変わりないのだが、夏目父が補充するなんてことはハナから期待しちゃいないわけで、ただ、使い切ったことすら意識してないっぽいこれまでを思えば、「なくなったよ」と報せてくれるのはかなり有難い。
「はい、補充しときます」
「ところで、トイレットペーパーの芯って何ゴミ?」
「紙ゴミです」
「紙ゴミ?そんなのがあるんだ」
「・・・・ええ」
「ギュっと潰すの?」
「ううん。開いて出すの」
が、それを聞いた夏目父が驚いて放った言葉であたしは、夏目父の300倍くらい驚くことになった。
「えっ?いちいちハサミで切るの???メンドクサいねー」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
なんですと?

(これをハサミで・・・・?)

(ハサミで?)

(あらまあ)

(か、簡単)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
なんですと?

(これをハサミで・・・・?)

(ハサミで?)

(あらまあ)

(か、簡単)
どうして最初にクルクルやって開いてしまったのでそ?(知らね)
夏目父の口から出た「ハサミ」という言葉に驚いて暫し絶句していると、異変に気づいた夏目父が不思議そうに訊いてきた。
「あれ?ハサミで切るんじゃな・・・・」
「 も ち ろ ん ハ サ ミ で 切 る ん だ よ 」
(堂々と)
(堂々と)
「俺が教えるまで手でクルクルやってたんだってよー。アホでしょう、うちの娘」と近しい人に吹聴されるから、まさか半年も気づかなかったなんて言えない。
絶対にっ。

あたしもちょうどいまそれが最後にさしかかってます、カナさん。
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