BOOK INFOMATION
会社勤めを始めてすぐの頃に、上司だったか先輩だったか新人研修の講師だったかに言われた、「次工程を意識して仕事をしろ」という言葉を未だに覚えている。
誰に言われたか覚えてないくらいだから、どんなシチュエーションだったかもさっぱり思い出せないのだが、誰かが言ったこの言葉はその後、あたしが配属された部署の仕事訓となった。
この言葉が意図するのは、たとえば書類の整理ひとつとっても、「自分は常に指サックをしているから少々バラついてても全然平気」という考えではなく、自分以外の誰かが見るであろうことを意識して、誰もがページを捲りやすいように、目的の書類を見つけやすいようにということを考えてファイリングする、みたいな、とても普通で簡単なことだった。

まあ最近は、雑にファイリングし、「捲りづらいなあ」と言う人には得意げに「指サックすればいいんスよ」と指南して「イイ事知ってる俺サイコー!」みたいな顔をする人が居そうだが、当時いた会社でそんな勘違いっぷりを披露したもんなら先輩に、「なんであたしがアンタのルールに従わないといけないわけ?」と凄まれた。
怖くて厳しくて優しい人だったよなあ、若月さん。(遠い遠い目)
懐かしいなあ、若月さん。
・・・・って、まあ、
ほ ん の 3 年 前 の こ と だ け ど 。
(註:激しく歳をサバよむ俺。アラフォー、独身、彼氏なし)
(註:激しく歳をサバよむ俺。アラフォー、独身、彼氏なし)
ちなみに当時、「「次工程を意識して」って言われても、ついこのあいだ入社したばかりの私達は次工程でどうなるか知らないので意識しようがありません」と言ってのけた同期の女子がいた。
一見正論のように聞こえないでもないが、少し考えれば判る。
次工程が何なのかを知らないのなら、訊いて教わればいいだけだと判る。
そして、こんな青臭いことを言われた若月さんは彼女を真っ直ぐ見据えて放った言葉が凄い。
「 え?そんな屁理屈が通用する世界ってあるの?どこに? 」
まだ社会に揉まれていなかったあたしには大層ショッキングな出来事で、しかも、キツネ顔の美人・若月さんが堂々と言う嫌味は迫力満点で、痛快だった。
それから2年半、あたしは若月さんの下で、日に30回は叱られ(多い)週に10回は怒鳴られながら(多い)仕事をした。
若月さんは、自分が培った技術や知識やノウハウの全てを出し惜しみせず、物覚えの悪いあたしに根気強く教えてくれた。
あのやたら濃い2年半がなければあたしは未だに十人並みの仕事すらできない社会人だったハズだ。
とはいえ若月さんは、決して完璧な人ではなかった。
気分屋で、時には感情的にもなるし、正義感と責任感が強すぎるが故に融通が利かない。
社内に周知した締めの時間を1分でも過ぎれば、たとえ営業部長が「頼むよ」と言いながら持ってきた書類だろうと突き返すから、彼女を煙たがっている人は多かった。
だから、若月さんが寿退社することになると、あたしがイビられ続けていたと思い込んでいた人たちは口々に「これからは伸び伸び仕事が出来るね」という意味のことを言った。
でもあたしは、「若月さんの凄いところを何にも知らないくせに!」と猛烈に腹が立った。
2年半の間、どれだけ叱られても蹴られても(実話)泣きたくなることなんてなかったのに、送別会では若月さんの顔を見るたびに涙がジワーっと出てきた。
そんなダメな後輩を若月さんはギュっとして、言った。
「仕事中に泣いてたらブン殴ってたよ」
そう言われてどうしてかあたしは大泣きした。
なぜこんな昔話(3年前だけど!)を書いているのかというと。
片付けを始めてから暫くのあいだ、自分の手際や段取りの悪さを嫌というほど思い知るたび必ずあたしは、若月さんのことを思い出していたからだ。
1年くらい前からその頻度はだいぶ低くなっていたのだが、4畳半の傷んだ壁を剥がし、新しい石膏ボードを張る段になってからまた、強烈に若月さんを思い出すこととなった。
さて、4畳半の壁に石膏ボードを張る段である。
当初の脳内施工計画では、(まずベッドを撤去して)ここに石膏ボードを張ってからヤニまみれの壁紙と絨毯を剥がし、新たな壁紙と床材を張ろうとしていた。
ただ、頭のどこかにずっと、得体の知れない違和感みたいなものがあって、4畳半のベランダに出てタバコを吸うたびに、それの正体が何なのかをぼんやり考える日が続いていた。
一週間ほど経ち、どうやらその違和感が古い記憶と関係しているように思えてきたのだが、いつまで経っても答えに辿り着けない自分は、普段より更にアホ度が増してるようでイラっとした。
つーか、家に帰ってきた途端、頭の動きが呆れるほど鈍くなるのはなんでだ。
ああそういえば。
若月さんはこういう愚図をすごく嫌ってたよなあ。
「よくわかんないけどなーんか違う気がするんです」なんて呟こうものなら、「自分の頭が足りないからって、人の頭を借りようとするんじゃない」って叱れたもの。
若月さん、今は40代半ばになってるだろうけど、きっとあのまま要領よく家事をこなしてるんだろうなあ。
若月さんち、いつ遊びに行っても片付いてたし。
あ、そうだ。
若月さんと一緒に、会社の人の引越しの手伝いをしに行ったことあったな。
で、あたしの掃除の仕方があまりに酷くて、プライベートで初めて若月さんに叱られたんだった。
そうそう、思い出した思い出した。
壁紙にこびり付いたタバコのヤニを拭いてたときだ。
洗剤で浮き上がったヤニが指にべっとりついてたのを気がつかないまま、若月さんが洗った白い食器を掴んじゃって。
「余計な仕事を増やすな」って叱られたんだった。
懐かしー。
懐かしいなぁ・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ん ? ち ょ っ と 待 て 。
壁を作って壁紙と床を張り替えて、それからヤニ掃除するのか?

(ヤニ+土埃)
ん ? ち ょ っ と 待 て 。
壁を作って壁紙と床を張り替えて、それからヤニ掃除するのか?

(ヤニ+土埃)
そう、暫く頭の中にあった得体の知れない違和感はコレだった。
雨漏り痕のある石膏ボードを貼り替えることばかりに気を取られていたが、4畳半は全体が長年のタバコで燻されていて、壁紙や絨毯は剥がすからいいとしても、たとえばアルミサッシを見てみると、タバコの影響を受けていないところはアルミ色なのに、

影響を受けるところはことごとくヤニカラーになっている。
そして、モロに煙が当たる箇所はすっかり、
サッシはまだいいが、それがハマっている木枠は厄介だ。

石膏ボードを張り、壁紙を貼る前にここを掃除すると、せっかく張ったボードが引っ越しの時の白い皿みたいな事態になりかねない。
かといって、壁紙まで貼ってからここを掃除して、真新しい壁紙にヤニがついてしまってはもったいない。
そして何より、「諸々に気をつけながら慎重に木枠だけを拭く」などという、掃除に対する集中力があたしにあるわけがない。
・・・・と、ようやくここまで考えが行き着き、脳内施工計画を変更することにした。
壁 よ り 床 よ り 、 ま ず は ヤ ニ 掃 除 。

(「週末はヤニ掃除でもするか・・・・」と書いてから2年?・・・・2年!?)
というわけで、ようやく4畳半の掃除を始めたのが約3ヶ月前。
ケータイで撮った膨大な掃除写真は、「試しに」と、ブラインドに洗剤をスプレーしてみた画像から始まっている。

(うわっうわっうわっ)
この日からあたしは夜な夜な、若月さんにド突かれそうなやり方で掃除を続けることになったのだった。
(続く)
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